5.10




姉から手紙が来た。

ある日突然、「私はアートになる」と言ってこの家を飛び出し、東京で一人暮らしを始めたらしい姉から、また突然、手紙が舞い届いた。
それは招待状であった。


それまで勤めていた会社も辞めて、それまで付き合っていた彼氏とも別れて、突然姉は、20代も後半にして、初めての一人暮らしを、それも東京で始めた。もちろん家族は止めたが、彼女は「もう決めたの」とにこやかな笑顔で応え、意気揚々とこの家のドアを開け放って行った。

生まれたときからそれまで暮らしていたあの部屋の、一切合切を箱に詰めて、送っていた。
もう住む場所は決めてあるらしかった。
これまでの生活を断ち切ってまで、この家を出る必要があったのか。そんなに不満があったのか、それとも、何か目的ができたのか。僕らが姉の口から聞かされたのは、ただ「私はアートになる」の一言だけだ。当然、皆目見当が付かない。アートになるとは、どういうことだ。芸術家になるってことかい?これまでも、普通の家庭で、普通の学校を出て、普通のOLをしてきて、その普通さを自覚するがゆえに、家族そろってそれを良しとしてきた、普通の環境だったじゃないか。アーティストなんて、そんなの別の世界の話で、姉さんだって、これまでに「アーティストになりたい」なんて少しでも言ったことがあったか?ないよ。僕の知る限りは。

そもそもアートとは何なの。
芸術っていうものがあるのは分かる。でもそれは「芸術が分かる」という意味じゃない。むしろ芸術は分からないものだ。アーティストって言うと大抵はテレビに出て歌を唄っている人たちのことを指すし、ふざけて「これはアートだ!」とか言うときもなくはないけど、大抵はなんか極端なものやシュールな感じのものに対して、勢いで言ってるに過ぎなくて、アートの定義なんて実際知ったこっちゃない。だから、その「分からないもの」に「なる」と言われても、全く僕には通じない。アーティストになる、なら多少は想像が巡らせたかもしれないけど。

姉の元居た部屋を開けてみる。すっかり、がらんどうだ。姉は、仕事も家族も男もなげうって家を出たかのように見えて、不思議と、自分の部屋の物だけは洗いざらい連れ立って、まるで部屋ごと移動したかのように、ぽっかりと家に空白を残して行った。全てをゼロからスタートする気なら、これまでの人生が染み渡り思い出の充満する部屋と品々も置き去って、まっさらな自分に一度戻る、という状態を思い描くのだが、なぜか姉は、自分の部屋の物だけ、きれいに全て箱に詰めて、まるで、私の存在は部屋と共に一体なのだ、とでも考えているかのように。


招待状の表側には、東京都内のマンションの住所に、姉の署名、そしてその下に、「本券一枚で3名様まで無料でご入場いただけます」と記されており、裏には、見慣れた姉の文字で『私は元気にやっています。部屋をオープンしたので是非遊びに来てください。』と書かれていた。



ほとんどグレーの壁しか見えない新幹線の車窓を眺めながら、僕は一人、音楽を聴きながら、姉の住む街へ向かっている。姉も、半年前、同じ線路を走って、同じ風景を見ながら、こうして座っていたのだろう。「アートになる」ことを思い描きながら。 僕は決してアートになりたくて揺られているわけではないし、どうなるか分からなくて正直不安なのだけれど、この空虚に向かってひた走る気分と、親密さのかけらもない外の景色と、頭の中に響いてくる音楽が、不思議だけど、僕に今まで感じたことのない、滑らかで寂しげな快さ、みたいなものを与えてくれている。友人から借りた、toeという歌のない邦楽バンドの音楽だ。ドラムの手数が独特で、リズムの一つ一つが、繊細に揺れ動く僕の気持ちをいちいち突いてくるようで、くすぐったくて切ない。こういう音楽もあるんだ。家で聴いたときは、歌が始まらなくて肩すかしのまま終わってしまった印象だったけれど、こういう状況で聴くと、空間と気持ちを優しく下から支えるBGMみたいに聞こえて、しっとりと染み込んでくる。歌詞がないから、聴きながら、僕の抱える不安や姉の事といった思考を、そのままメロディの上に自然と預けることが出来る。固まっていたものが流れに乗って動き出す。すごく良い音楽、というより、とても良い状況、のように思えてくる。実際は不安なのに、不安だから心地よい。僕は今はじめての体験に、椅子にもたれながら遭遇している。もっとも、真に初めての状況に遭遇するのは、これからだったのだが。

東京駅から、山手線に乗って恵比寿へ。
あまりに急な、空間の密の濃さに、さっきまで心地よさを感じていた自分が偽りのように思えてくる。深遠な虚に向かうような気持ちは、目の前の人の群れと、声と、音の重なりで、あっさりと埋没して、あんなものを大事に感じた自分がばからしく思えてくる。
だが、人混みによる一定の流れを抜け出て、周りに静かな住宅街が開けたとき、再びあっさりと、自分を包み込む空虚な穴が蘇る。何処に向かい何を目にするのか、姉のどんな変化を前にして、僕はどうなってしまうのか、何のためにここに来たのか。人混みの中で麻痺していた方がよっぽどマシだったかもしれない。東京はどこも、狭くて小さい。


「こんにちは、どうぞ」
たまに車が通りすぎる程度の、静かな路地を歩いていて、突然声をかけられたようで驚くと、そこは招待状に記された住所のマンションだった。
よく見ると、僕の前に歩いていた人、向こうから来る人も、ぽつぽつとだが、確実にこのマンションを目指し、そして中に吸い込まれていた。
決して大きくはない、周りから比べると中程度の、だが7,8階はありそうだ、赤茶色のレンガ風の建物。周辺にはこれよりも高級そうなマンションがいくつかあり、それらがエントランスの造りに多少凝っていたりするのを見た後だと、なんとなく見劣りするような、何の変哲もなく、石畳も何もない、道路からいきなりガラス戸の入り口。ここから銀色の郵便受けも見える。 だがその入り口の前に、案内と思しき人が立ち、僕を中へ入れようとしている。別に挨拶しただけかもしれないが。いや、マンションに、どうぞ、とは言わない。
僕は招待状を取り出す。

「これって、ここで良いんでしょうか」
「あ、はい、招待状をお持ちの方ですね。でしたら、中の受付…管理人室の者にも、そちらをお見せください。どうぞ」

入ってすぐのところに、管理人室の窓から顔を出す若い男性がいた。一般、1000円、学生、700円。さっきの人とは違い、伏し目がちで暗い印象だ。
「あぁ、小野さんは、4階、えっと、408号室ですね」
小野、姉の苗字だ。むろん、僕も小野だが。
「今部屋に居るかどうかは、あの、ちょっと分かんないんで、もしその居なかったら、他の部屋でも見ててください、エレベーターはあっちです」
「あ、どうも」

エレベーターに乗り、4のボタンを押し、閉のボタンを押して、ふと、完全に一人の個室状態になったとき、今しがたの会話を、冷静に自分の中で反芻する。
どういうこと?もしかしてそういうこと?
姉は?姉も?姉ちゃんも?ちょっと待って?
考えるには、4階という地点はあまりに短すぎた。


マンションは、中心が吹き抜けになっている、ロの字型の造りをしていた。
エレベーターを降りて飛び込んできた景色は、数々の、開かれた部屋だった。
吹き抜けから下の階、上の階を見回してみる。
僕と同じように招かれてやってきた人、興味があって自主的にやってきた人、何度も来ていそうな人、もしかしたらここの住人かもしれない。そのフロアをゆっくり見て回る人たちが、散見された。
視点を、自分の立っている4階に戻す。この階には、僕以外に廊下を歩いている人がいない。おそるおそる歩みだし、ひとまず、408を目指すことにする。エレベーターのすぐ隣にあった部屋の番号を確認しようとした。だが、プレートを確認する前に、その部屋自体が、どうしても視界に入り込み、意識を焦らせる。この部屋も、ドアが開けっ放しなのだ。しかも中に人が居る気配がする。僕は必死に中を見ないように、番号だけを確認しようと、ドアから離れたところで視点をさまよわせる。
プレートはあった。だがそれは、見上げる位置ではなく、僕のちょうど胸くらいの位置に、真っ白な正方形の板として壁にはめ込まれ、そして、タイトルと作者名が刻まれていた。
「 『401』 増田 充 (2008) 」


「そこは増田さんの部屋よっ」
という声と同時に、後ろから僕の両肩に思い切り体重をかける。
姉が昔から、人を驚かせるときによくやっていた行動だ。そして僕はいつも通り、まんまと、おわっ と声を上げるのだ。
「相変わらずの反応。しかし、ほんとよく来たわね。一人?」
姉は、何も変わらず、姉のままだった。家を出てからまだ半年なのだから、当然といえばそうかもしれない。でもこんな、明らかに普通じゃない空間に半年でもいたら、それこそ見た目も、人格も変わっているのではないかと、どこか思い、恐れていた。
「明らかに普通じゃない、ってほどではないと思うけど」
確かに何もしてなかったら、普通のワンルーム・マンションだ。だが、普通のマンションは、入り口で案内したり入場料をとったりしない。普通のマンションは、住民は皆、ドアを閉めている。夏場は風を通すために開けてたりするかもしれないが、それでもカーテンや簾で中を見えないようにする。住居空間が丸見えで開けっ放しにするなんて、引っ越しとか工事中とか、特別な時以外ないじゃないか。それが、閉めてる部屋もあるけど、こんなにたくさんそこらじゅう、当たり前のように開放中なんて、普通じゃない。
「それがルールだもの。あなた、何も調べないで来たの?勇気あるね」
こんなところに住んでる姉に、勇気あると言われた。

住んでいる?姉は住んでいるのか、ここに。ということは、姉もまた、大開放しながら生活しているというのか。僕ははっとして振り返り、408号室を目で探した。ここからでは特定できなかったが、廊下に張られた注意書きが目に入った。『作品にはお手を触れないでください(作者の了承を得た場合を除く)』

「このマンションは、マンションであり、ギャラリーでもあるの。でも勘違いしないでね、ありがちな、マンションの一室がギャラリー、とは違うから。マンション全体がギャラリーで、個々の部屋が作品なの。ううん、部屋だけじゃない、そこに住んでる住民も作品っていうか、住民が作家で、部屋が作品。でも、作家の生活そのものが結局全て部屋に作用するから、生活こそ作品っていうか、だからやっぱり、住民も作品、生きていることそのものがアートってことになるかなって、思うんだけど、あなたはどう思う?」

しばらく何も物が言えなかった。姉の言わんとしていることは、分からなくはなかった。でも、少なくとも僕には、簡単に同意できるような考えじゃなかった。生活がアートったって、まずそのアートが何なのかよく分からないのに、いきなり日常的な生活と結びつけられても、その感覚を身体に飲み込むのは難しい。芸術って感動できるものじゃないのか。対して生活って、ひどく退屈で、ありふれたものじゃないのか。他人の部屋を覗いて、自分の部屋も開け広げて、それが、アートなのか?

「いまいち納得いかないって顔ね。じゃあちょっと、増田さんの作品見て来なよ。一つ見ればなんとなく分かるって」
「そんな、いきなり、顔も知らないのに悪いよ、あっちも恐いだろ」
「何言ってんの。作品見られて嫌がる作家なんて居ないし、居たらこんなとこ住まないって話でしょ。見てほしいからここに住んでるの。ここのルールで、部屋で生活しているときは常にドアを開放しなくちゃいけない、ってのがあるの。閉めてる人は今お出かけ中か、寝ているか、もしくはお風呂かってとこ、さすがに作品盗まれちゃ困るしね。それを承知でここに住まう人ばっかりなんだから、むしろ見ていかないと失礼よ。あ、そうそう、別に増田さんに挨拶とかする必要ないから。基本部屋が作品なんだから、ふ〜んって見渡して無言で出てくるだけでもいいの。あっちも一日に何人も勝手に出入りするから、特段気にかけないし。別に話したかったら話しかけてもいいよ。それってどこの展示でも同じでしょ。自作品について話したがらない人も居ないし、ま、多くを口にしないスタンスの人は居るけど、悪い人は居ないよ」

とん、と背中を押されて、僕の足は増田さんの部屋の玄関に踏み入った。おずおずと靴を脱ぎ、歩を進める。誰にも聞こえないくらいの声量で「おじゃまします…」とつぶやいていた。


増田さんらしき人は、ワンルームの隅っこに置かれたPCデスクに向かいながら座っていた。画面上には全画面でiTunesが表示され、スピーカーから僕のよく知らない洋楽のロックが流れていた。長髪でひげ面で、タンクトップにジーンズというワイルドな出で立ちなのに、真剣にハードカバーの分厚い本とにらみ合っていた。
僕は声をかけるべきか迷ったが、ぐっと息を呑み、部屋を見渡した。レコードジャケットがたくさん飾られていた。食事した後らしき食器が、テーブルの上にそのまま放置されていた。たくさんの洋服、様々な形のコート、赤と黄色の柄物Tシャツ数点、部屋の壁一面に掛けられていた。冷蔵庫に映画のチラシがべたべた貼られていた。台所は台所というよりバーカウンターのようだ。腰の高さ程度の本棚には、またもや分厚い、難しそうなタイトルの本がびっしり詰まっていた。全体的にごちゃっとした印象だが、なぜかベッドの上の布団は几帳面にたたまれていて、妙に浮いていた。かびっぽいような、エスニックな、独特の匂いがした。

増田さんは一瞬、こちらのほうに首を向ける、正確には少し姿勢を本から外し、僕のことを視界の隅で認識すると、興味なさげに再び本に目を落とした。本当だ、ここでは、勝手に誰が部屋に入ろうが、特別意識すべきことではないのだ。僕は客である前に、鑑賞者なのだ。
そう分かると、すっと気が楽になるのを感じた。
そして唐突に、この部屋が面白い空間であるように思えた。
こんなに自由に、初めて入った他人の部屋を、まじまじと「見る」ことなんて、初めてだ。

「あっ」
増田さんの趣味のほとんどは、僕には分からないものだったが、冷蔵庫に貼られたチラシのひとつに見覚えがあって、思わず手を触れてしまった。トゥルーマン・ショー。映画にさほど興味のない自分だが、小学生の時、姉に連れられて映画館に見に行って、これは強く印象に残っていた。
「それはさ、スゲェ映画でした。よかったらそれ、持っていってください」
増田さんは突然、僕の背中に向かってそう告げる。驚いて振り向き、頭に「お手を触れないでください」の画がよぎり、「すいません」と言いかけたとき、増田さんは真っ白な歯を出して笑いかけ、再び本の中に沈んでいった。


「どうだった?」
廊下で待っていた姉に、「これ」と言って、手にしたトゥルーマン・ショーのチラシを見せる。姉は、まず懐かしいと反応し、そして、増田さんは素敵な人だと思う、と述べた。
「私もああいう部屋にしてみたい」

ああいう人だから、あんな部屋になるんだね、と思ったことを言うと、姉は目を輝かして「そうなの!」と声のトーンをあげた。
「部屋って絶対、住んでるだけで、自然とその人の人柄や性格や雰囲気、生き様が、染み込んで、次第に表出してくると思うの。部屋って、本人が意図しないところで作ってしまう、もう一つの自分そのものなんじゃないかって。それを私は、作品って呼びたい」
分かるような、分からないような。
ただ、自然と作られてしまうってのは分かるし、確かに僕はあの空間を、面白いと感じてしまった。友達の家に遊びに行ったときのことなど、思い出してみる。その家にしかあり得ない、独特の匂い。そこの家の人たちは当然として過ごしている、僕にとって全てが珍しい物、配置、環境。二つとして同じ部屋はない。ただ知らない建物の中に入るだけじゃない、何か生き物の中に入っていくような感触。
「その瞬間の新鮮さ、すこしの抵抗感と戸惑い、生ものの感触。それが、アートよ」
これが?

ただ僕は、見知らぬ他人の部屋に堂々と入ることに、少なからず、興奮を覚えていた。
そして、増田さんちでの、住民と客の関係、ここ流で言うなら、作者と鑑賞者の関係も、絶妙に心地よかった。
完全に他人、挨拶すら必要ない、だけど、ふとしたとき、自然に会話が生じる。部屋っていう場所が、そうさせるのか。
「私の部屋あっちだけど、もう少し他も見てみる?」


405の作者は、北条 章人さんだ。
「北条さんの部屋は、このマンションの中でも、特殊なの」
玄関からして、ガラクタとしか思えない類の、空き瓶や空き箱、封を開けてない飲み物や、ゲームソフトのカートリッジ、壊れた時計などが、散らばっていた。まるで、散らばすことによる独自の美学を貫いているように。踏まないように気をつけて中に入ると、もはや全体がガラクタの墓場と言われても仕方ないような有様で、いよいよ、北条さんなる人物の精神が心配になってきた。しかし、住民の姿は見当たらない。
マンガ雑誌やフィギュア、ビニール袋、汚れた衣類、散乱したポラロイド写真、破けたキャンバス、割れた花瓶、コンセントの抜けた家電。これは散らかっているというよりも、廃墟といった方が正しいのではないか。テレビもPCも見あたらない、およそ生活とはほど遠い無法地帯、だがかろうじて、洗面台の歯ブラシと、衣類の下に埋もれたベッドに、今でも人の居る痕跡が感じられた。
「今日は居ないみたいね」
「居ないのに、開けっ放しなの?それはルールに反するんじゃないか」
「いいえ、ルールは、部屋で生活しているときはドアを開けなさい、としか言ってないの。ドアを閉めることに関しては、住民の自由意志に委ねられているわけ。だから、別に居ないからとか、寝てるからとかで、必ずしも部屋を閉める必要ないのね。もちろん、それで何かの被害にあっても、そこは自己責任になっちゃうんだけど」
「北条さんは常に開けっ放しで、大丈夫なのかな」
「見ての通りよ」
確かに、僕が泥棒だとして、この家に入ったところで、何も盗る気はしないけれど。
「むしろ逆、この部屋は自然と、来訪者が物を置いて帰る場所になったの。不思議よね、盗られることを恐れずに開放してたら、逆にもらうようになっちゃったなんて」
だからか、この一貫性のないガラクタ達は、やってきた鑑賞者が、自分がここに来た足跡として何かを置き去った結果なのだ。北条さんはそれを捨てずに、積極的に受け入れ続けた中で、生活をしているみたいだ。
「そうやって見ると、なんか、ちょっと楽しそうだ」
「ま、ホームレスと紙一重って状況だけどね」
マンション内ホームレス、か。
「北条さんは特殊。普通の生活を捨てて、アートな生き方を徹底した人。それはそれですごいと思うけど、私の考えとはちょっと違う」

これがアートな生き方って言えるのかどうか、僕には判断できないけれど、じゃあ、僕もここに何か置いて立ち去れば、それはアートに参加したってことになるのかな。僕は、実家の本棚から取ってきて、新幹線で読もうとして結局開かなかった、「思考の整理学」という文庫本を、北条さんの棚の中段に、そっと置いた。
「北条さんがこの部屋でその本読んでる姿って、変よね、かなり」



姉の部屋は、ロの字型のフロアの、隅のほうに在った。
姉の隣の部屋を通り過ぎるとき、「こんにちは」と落ち着いた優しい声で挨拶を掛けられた。姉もとても自然に、だけどあまり僕の聞いたことない少し大人びた声で「こんにちは」と返した。姉の部屋の隣人、寺林さん。開け放たれた部屋の中には、廊下からもすぐ分かるほど、たくさんのキャンバス、色とりどりの絵画、風景画、花の絵、デッサン、抽象画、人物画が、飾られ、積まれ、乾かされていた。そう、僕の知っている「アート」の印象は、まさにこの寺林さんの部屋のような、「アトリエ」としての部屋だった。寺林さんの声もさることながら、風貌も、柔らかな笑顔も、その存在、空気感すべてが、僕にとって突然訪れた「安心感」だった。向こうから、丁寧に声をかけてくれたところも。

「お隣さん、すごくいい人そうだね」
「ええ、すごくいい人。けど・・・」

姉が言い詰まったことも一瞬気になったが、すぐに僕は、開け放たれた玄関からちらりと見える、見覚えのある靴のかかとや、玄関の脇に置かれた謎の怪獣のミニチュア、ピンクと黒のツートンで彩られた傘などを発見して、そこが、久しぶりに見る姉の存在感を、一気に引き立たせるようで、くすぐったいような感動と、ここが東京であるという現状に、高揚と共に眩暈のようなものを、感じていた。
「ああ、姉ちゃんの部屋だ」

実家の匂いに似ていた。だが確実に、大人の女性の部屋だった。すこし華のある香りがした。これまでの部屋と比べて、最もこざっぱりとしていて、最もありきたりな「部屋」だった。シーツの色も、PCも、かけてある服も、棚の上に置かれた細々とした箱や小物も、並んでいるCDの色も、見覚えのあるものばかりだった。あのテレビは見たことない、あのカーテンも、こんなテーブルも初めて見た。あと、窓の外の景色、姉は毎日こういう空を見ているのか。
「見たことあるものがいっぱいだ、けど、見たことないものもいっぱいある」
「どっちも当たり前でしょ。それにあなた、私の部屋なんて実家でもそんな見てないでしょ」
「姉ちゃんが入れさせなかったんじゃないか」
あんなに部屋を見られるのを嫌がっていた姉が、今はこのマンションで、見ず知らずの人にまでも大開放しているとは、半年前に誰が考えただろう。姉の頭の中では、着々とこの生活への構想が練られていたのだ、あの閉じきった部屋の中で。


「姉ちゃんはどこで、このマンションのこと知ったの?」
「インターネット。ここの7階に住んでる岸和田って人がね、同い年なんだけど、ネットを使ってほぼ常にこのマンションを配信してるの」
姉の部屋で、姉と二人で鍋をつつきながら話す。鍋をするにはそろそろ暑い季節だったが、姉は昔から、会食は鍋じゃなきゃヤダ、という人だった。なので僕は、生まれて初めて姉と二人で鍋をする。家族では普通の食事を囲むし、姉と二人で食べることもままあったが、姉にとってある種儀式的意味を含む、特別な状況での鍋会を、家族とするのは、今回が初めてだ。おそらく姉もそうだろう。別の生活を生きる人、として、いま僕は姉に迎え入れられ、気を遣われている。そしてもちろん、ドアは開けっ放しだ。

「その岸和田はね、このマンションの日々の状態、マンションで起きたことや、イベントがあるとき、やってきたお客さんとの話とかを、ネットをフルに使ってずっと生中継してるの、ツイッターとかユーストリームとかで。それで一時期話題になってて、私もそこで初めて、こういう場所があるってことを知ったの。ネットで話題になったから、結構ここ入居するの、倍率高いのよ。家賃も安いし」
「安いんだ?立地的に、高そうなイメージだったけど」
「この辺からしたらすごく安いよ。だって、なんてったってプライベートを投げ捨てなきゃいけないっていう、条件付きだから。まぁでも、倍率高いんだから家賃上げてもいい気もするけど、でもそしたら、お金ある人しか住めなくなるし、住んだけどやっぱり辛いからって、住民が短期で入れ替わる原因にもなっちゃうじゃない」
「色んな人が来た方がいいなら、それもアリなんじゃないの?」
「だめよ、いい?生活にその人となりが染み込むのには、時間がかかるの。あの増田さんの部屋みたいに、部屋がそのものずばりその人!ってなるには、とてつもなく時間がかかるの。部屋と住人の関係に、違和感がなくなって、初めて人に見せられるの。それには最低でも半年はかかると言われててね」
「ふうん、だからこのタイミングで手紙よこしたんだ」
「そ、やっと半年。まだ半年。私の部屋、作品だなんて言えない、全然退屈。でも、それって結局、私って言う人間が退屈だから、いつまでたってもこれ以上は変化しないかも、とも思ってるんだけどね」
「でも、見た瞬間に、姉ちゃんの部屋だって分かったよ。見ず知らずの人からどう見えるのかは分かんないけど。アートっぽいかどうかなんて全然言えないけど、ここはやっぱり姉ちゃんの部屋だよ。他の人も、なんとなくだけど、この部屋から姉ちゃんの性格とか、感じるんじゃないかな」
「そう?だといいけど」
素っ気なく応えていたが、妙にうきうきしていた。頬とか。

「そういえば、さっき隣の寺林さんのこと・・・」
と言いかけたところで、玄関の方で靴を脱ぐ音がした。
僕は思わず、驚いて思い切り玄関の方を向いてしまったが、すぐ姉に指先で顔を押され、鍋の方に向き直った。
「うん、いい人よね。ところでお母さん達は元気?」
僕は姉から、なるべく普通の会話を心がけろ、と、暗に指示されたのだと思う。僕は、とりとめのない、たいしたトピックスもない、家族の現状報告などでつなぐ会話を、演じていた。その間に、玄関から男性が部屋に入り、部屋の中心で座って鍋をする僕らの周りを一周し、そしてテーブルの横に立って、しばらく鍋を見つめていた。僕はその間に姉と交わした会話をもう思い出せない。ある瞬間、会話が途切れたのだ。姉は笑いながら上を向き、
「お食べになります?」
と、鑑賞者に話しかけた。
男性は一瞬たじろぎ、「いえ、結構です」と言って、ゆっくりとこの部屋を出て行った。
あの鑑賞者にとって『408』は、割と平凡な、明るめの茶系が好みの女性の部屋、その真ん中で、男女が座って鍋をつついて、家族の話をしている作品、として認識されたのだろう。
ああ、姉が作家なら、僕は部屋のパーツであり、作品の一部でしかなかったのかな。
「なんか、奇妙だね、見られる側って、でも、この緊張感は、ほどよく悪くないね」
「そうでしょ?意識しないこと、を、意識するって感じ。慣れるともっと楽になるし、それこそ、じゃあ部屋を、日常をもっと良くしようって思えてくるし」


その夜、姉は普段通りのベッドで寝て、僕は床で布団を敷いて寝ていた。実家でも布団なので、これが自然なのだ。さすがに寝ているので、ドアも閉めた。初めてこの部屋が、プライベートな空間として機能している。落ち着くことは落ち着くけれど、何か、輝きまで内に押さえ込まれているような、微妙な物足りなさまで感じている。姉は、朝起きてまず一番にドアを開けるのが、楽しみでしょうがないのだという。本当に、目を閉じているときだけドアを閉じるというつもりだ。

生活そのものがアート、生きていることがアート。それを体現するマンションのシステム。確かに楽しそうだし、刺激的で張りがあるのかもしれないけど、それで満足すれば終わりなのだろうか。アートって、苦しみの中から何かを生み出すものなんじゃないのか。それが出来ない凡人が、ただ生活を豊かにすることで心に厚みをもたそうとするんじゃないか。生活そのものがアートということを全肯定されることで、何も生み出さないことへの免罪符と引き替えている、とは言えないだろうか。生活こそ表現だから、と、ありのままの自分そのままで居る、それだけでいいのかい。必死で表現しようとする何かがあって、初めて人は変わるんじゃないのかな。

なんで僕は、こんなことを布団に入りながら悶々と巡らしているのだろう。柄にもない。きっと、一瞬「作品の一部」になって、もうその世界の一員にでもなったつもりなんだろう。
隣では姉が聞き慣れた寝息をたてているが、僕はなんだか目が冴えてしまって、好奇心もありつつ、少し、深夜のマンションを徘徊してみても、いいような気になった。


廊下の空気は冷たく、風が強いのか、吹き抜けが低いうなりを上げていた。
ぱっと見渡した限り、日中と比べてもやはりドアを閉じている部屋ばかりだ。みんな寝ているのかもしれないし、開けたところで、こんな時間にやってくる鑑賞者も居ないだろう。
それでも、数えられる程度にドアは開かれ、中から光が漏れているところもある。ドアは開いているが中は真っ暗な部屋も見られる。僕は散歩のつもりで、上下階の廊下に足を運んでみる。

光が漏れっぱなしの部屋を、こっそり覗いてみる。
ある部屋では、外から見ても分かるほど、部屋中に本がうずたかく積まれた中で、もじゃもじゃの黒髪をかきながら、PCに向かって一心不乱にキーを打っている男がいた。ある部屋では、薄暗い暖色系の間接照明がぼんやりと部屋を照らし、その前で、ソファに沈みながら首を傾けて、居眠りしている男性がいた。ある部屋では、見た瞬間驚いたのだが、ヘッドホンをつけて、棚に向かいながら前屈みで、上半身裸のままお尻を突き出し、振り回しながら、踊っていた。よく見ると、棚に見えたのはターンテーブルなどが置かれたDJ卓で、カラフルなまだら模様に見えた壁は、ぎっちり詰まったレコード盤であった。

ある部屋からは、声が聞こえてきた。男性の話し声なのだが、一人問答のようで、相手の声は聞こえない。時折笑い声をあげる。電話でもしているのだろうか。覗くと、部屋の感じは、これまでの人たちのそれと比べると、普通の部屋であった。こざっぱりとして、スチールラックの中もきちんと整理されているようだ。姉の部屋の、男性版といったところか。男性は床に座り、白いノートPCに向かって喋っていた。テレビ電話?いやそれとも、ネット上の不特定多数に向けて、会話しているのだろうか。そしてその人が、岸和田さんであるということに気づくのに、そう時間はかからなかった。


そろそろ部屋に戻ろうと、階段を下っているとき、ドアは開けているけれど灯りのついていないある部屋からもまた、声が漏れてきているのに、ふと気づいた。僕は別に好奇心でも悪戯心でもなんでもなく、ただふらふらと引き寄せられて、そしてある程度ドアに近づいたところで、足が急に止まった。急に全身が緊張感に襲われた。
その声は、女性のあえぎ声だった。ベッドの激しく軋む音が、断続的に聞こえていた。女性の声とは別の、荒い鼻息のようなものも、暗闇に混ざっていた。僕はひるんだ後、考えた。
僕はこの部屋を鑑賞することも出来る。そして行為という作品も。
いやソレは、ドアを開けてやるようなことなのか。違うだろう。もし見られてしまっても、いいのか。というか、見に来る人なんているのか。
はっとして、慌てて周りを見回す。誰にも見られてないかな、僕がここで耳をそばだててしまったこと。少し見ようかと、思ってしまったこと。「見られて嫌がる人なんて居ない」という姉の言葉が都合良く蘇る。
開かれたドアの内側に、来訪者に伝えるメッセージのような形で、紙が貼られていた。
絵の具で書き殴られた「LOVE & PEACE」だった。


ゆっくりと、胸にわだかまる変な嫌悪感のようなものを、なんとか消化しようと、深い深呼吸を2,3度繰り返したり、吹き抜けの低音に耳を集中させたりしながら、僕は姉の部屋に戻る。そっとドアを開閉する。ドアを閉めたとき取り戻した静けさが、やっと僕の熱を押し下げ、さっきまで見てきたものが、嘘のように感じられ始める。
しかし、静かに入ってきたつもりだったが、姉はベッドの上で上体を起こし、僕の方を、暗闇でも分かるほどの驚きと不安の表情で、見つめていた。そして僕だと分かるとすぐに、肩を落とした。
「びっくりした、岸和田くんかと思った・・・」



「ほんとにもう帰る?もっとたくさん部屋見ていけばいいのに。まだまだ面白い部屋いっぱいあるよ。昨日から居ない人も、今日は帰ってくるかも」
マンションの前で、姉は僕を引き留める。だが僕は、もう目的を終えた。姉の生活を知ること、そして、姉がそれまでの生活を捨てて、ここまで来た理由。

「姉ちゃん、人が人を想う気持ちは、アートなのかな?」
昨日も立っていた、案内の女の人が、ちらちらとこっちを見ている。
「うーん、アートが、私たちを感動させるものなら、人との関係って、確かに一番、興味深いかもしれないわね。価値観を根底から覆すようなことも、結局人との繋がりによるものだったりして。そのことに気づいた人たちが、ここに住んでるんじゃないかな」
「違うよ、僕はコミュニケーションのことを言ってるんじゃない。人を想う気持ち、のことだよ」
「・・・それは、アートなんかよりも、もっと必要で、かけがえのないもの、だと思うけど」
突然で、意外で、でも、僕の知っている優しい姉の、等身大の姿から出てきた言葉だった。

「うん、ありがとう、そろそろ行くよ、楽しかった」
「ねぇ、あんたもこっちに住まない?」
「え?」
「このマンションじゃなくても、最近増えてるのよ、同じことする人たち。やっぱり岸和田さんの配信のおかげだと思うけど。あんたもどっちかっていうとひきこもりたがるタイプだし、そういう人の方が、逆に開放すると、面白い作品になったりするんだけど」

それは楽しそうな提案だった。きっと刺激的な毎日が送れるんだろう。面白い人とも知り合えるのだろう。東京に住んでみたいという憧れもある。でも僕は、何もためらわず、それはできないよ、と答えていた。
「僕にはまだ早い」
すこし、無言の間が空いた。車が一つ横を通りすぎた。その音に救われた気がした。案内の女性は、僕らを見ないようにしていた。
「みんなに宜しくね。いつでも遊びに来てって。私はもう大丈夫だから」
「うん、わかった」

姉に背中を向け、リュックを背負い直し、駅の方面に向かって歩き出す。後ろで、マンションのドアを閉める音がした。そうして僕は、姉がアートになった場所から、立ち去った。

まだ早い、というのは、姉の手前、口にした返事でしかなかった。きっと姉も、そのことを感じ取っていた。僕はあのマンションから逃げ出した。あのマンションは、何処かの現実から逃げ出した人々にとって、開かれているように思えたから。

姉ちゃん、僕はまた、部屋と心を閉じたり開けたりしながら、死にものぐるいで自分を守る日々に戻ります。
どんなに生活をアートにしても、社会はまだ、アートになれないから。
そのことを、姉ちゃんに伝える必要はなかった。姉ちゃんも自分で分かっているはずだから。別れ際の言葉に、それが示されている気がした。


帰りの電車では、音楽を聴かなかった。
既に僕の見る風景は変化し、新しいレイヤーが、現実を覆っていた。







2.21


私は晴れていた。


違うのだ。天気が晴れているのだ。私は晴れた空の下を歩いているのだ。気分よく歩いていて、だからその状態を端的に表すために、略したのだ。略した方が、意外と伝えたい有り様の本質に近づいていたりもするのだ。

私はなぜ晴れているのか。
いやいやそんなひどい質問はない。
空はなぜ晴れているのか。と同等なのだそれは。人の心の移ろいにすべて理由があるなどと言う考え方が、既にひどいのだ。人間は理由なく泣いたり、新陳代謝したりするのだ。それはきっと生きるためだ。表面に表れる感情や行動に理由を求めるなら、それは全て生きるためだ。「生きる」っていう一つ穴のコンセント口があって、そっからタコ足配線で無数にコードが分配されていって、途中もう絡みに絡みまくって誰にも何に繋がってるか分からない、その先に、冷房や暖房や明かりや音を出す物が置いてあるのだ。そんで、私の身体はリモコンで、全部の家電製品に対応してる。そのときそのときで向いている角度が違って、何かの拍子でスイッチを押されたとき、どの機械が反応するかわからない。笑うかもしんないし怒るかもしんない、へたしたら死ぬかも。角度は常にランダム。理由なんかないの、だって私は生きるために常に動いているでしょう。動き続けてるとリモコンの角度も変わって、スイッチ押されたとき泣いても、泣いたことに理由はないの。その時そのタイミングで泣いた、っていう事実があるだけ。理由じゃないけど、その根源にある意味は分かってる。生きているからだ。コンセントは一つしかないんです。


そう考えるとふしぎね。
生きているせいで角度が不安定で、生きているせいで何かにぶつかってしまうし、それでも生きるために感情が動作しちゃう。なんだか、生きることよりも、この感情を動作させることこそが、私に与えられた意味みたい。感情を存在させるために、生きるという手段を選んだみたい。


「生きる」っていうコンセントからプラグを抜いたら、感情は動かなくなる。
あったかくもさむくもならない。別にコンセントは壊れてないから、死ぬわけじゃないんだけど、リモコン押されても何も動作しない。生存しているだけになっちゃう。でも、そうやってどこかで切り離さないと、絡まったコードをほどくことって出来ないんじゃない。


私 魂だけになってみた。
身体を捨てたの。抜け出たの。そしたら晴れたの。青い匂いが通り抜けるの。身体があった頃は、皮膚が物理的に世界を解釈していた。科学的に。これは有害かな、無害かな、これは記憶にある感触かな、これは過去に快いと記憶したっけかな、この臭いは悪くて、この臭いは良い。全てまず皮膚が判断してたの。

皮膚を通さなくなったら、空気の全てはすこやかでした。皮膚はいつの間にか社会性だったのです。とっくに私の感情とは無関係な濾過装置だったのです。
魂だけになったら、世界に転がっているあまねくすべては、元気でした。楽しそうに無秩序を繰り返すのです。空は明るく曇っています。道は喜んで汚れています。私は間違いなく晴れている。


別に死んだわけじゃないよ!
だってこんなにも私は晴れている、という感情にまみれているから。感情は生きていないと動作しないものでしょ。私はいまフルで感情めいっぱいだ。感動もしてる。

魂は過去にしばられないね、でも未来も心配しないの。あっ。分かった。魂ってきっとコンセントからの供給がいらなくなった、家電製品それぞれが固有の機能を自発的かつスタンドアローンに動作できる開放された純粋なシステムのことなんだわ。そして私は今、これまでの私という身体が抱え込んでいた、精神と生存のコードが複雑化した包括的なシステムから脱して、感情という宿命の、そのうちのコアたる一つに縮減する境地にいるんだわ。
私は今感情そのものなの。一つの晴れた家電なの。他の何物も持たない、最小限の単位で在るの。それは感情。それは晴れ。


だから私はただ晴れている。


あなたの魂は孤独を手にしているか。

コードが絡みあった部屋のドアを開けて、空を眺めているか。










1.17





「ねぇあなた、2010年って、どんな未来になるのかしら」


さぁて、そんなに先のことはちっとも検討つかないけれど、少なくとも、私たちが想像も及ばないような、びっくりするような技術、おそろしいような表現、信じられないくらいのライフスタイルが、普通にまかり通ってるんじゃないかな、と思うんだよね私は。
それが具体的にどんなものかは分からないよ、繰り返すけど、想像もつかない。想像できてしまったら、それはきっと見ても驚かないものだろう。新しい世代は、常に私たちを驚かすんだから、それは私の頭では想像のできない時代だし、そうあるべきなんだよ。

ただ、こうして今一緒に初詣に来ている、あの子供達の、その頭の中には、既に未来への想像力が芽吹いているのかなと思うと、なんとも言えん不思議な気持ちになるね。生まれたタイミングが違うだけで、一緒に歩いて、一緒に同じ空気を吸っているし、同じ甘酒だって飲んでいるのに、まるで違う風にこの世界を見つめているんだ。私たちに想像のできない未来が、あの子達の目の中ではとっくに想像されているんだ。彼らは想像しているつもりなんてなくても、既にその目に見えているもの、私たちとは全く違うものから、刺激を受けて育っているのだ。そうして自然に育ち、自然に想像され、やがて当然のように未来に実現されるというのに、その実現されたものに、私たちは心底驚いてしまう。いや驚くどころか全く理解さえ出来ないかもしれない。せめて拒絶だけはしたくないと思うがね。その子供達に、私たちが何を教えられるんだろうね、と、そんなことをよく思うんだよ、最近は。この私が、2010年に向けて何を伝えられるのかね、と。


それにしたって2010年という響きはあれだね、あまりにも突拍子ない感じで、もう何でも実現しているような気になってしまうね。もしかしたら車だって空を飛んでいるかもしれない。
だが待て、この先の長くない私でも、今の現状からある程度の未来の姿を推測することは、決して不可能ではない。その上で思うんだが、車は空を飛ばないんじゃないかね。
確かに車が空を飛ぶ、というのはどうにもステレオタイプな未来像としていささか短絡的すぎるが、決してその短絡性を否定するわけではない。そりゃあ今の車社会の渋滞状況などを鑑みるに、飛んだらどんだけ気持ちよいか、ビルの間を車が立体的に行き交う光景は、どれほど格好良いかと思いを馳せることはできるが、車が空を飛ぶということの前に、私たちはまず、今後車が必要になるのか、について考えなければならないよ。

どうやら今の社会から地続きで未来がやってくるようだ、であるならば、きっと2010年あたりには、車を必要としないライフスタイルの一般化という現象が横たわっているんじゃないかな。だって、そりゃあインターネットという、物理的な距離を超越してしまう技術であったり、そこにくわえてエコとか、車にステータスを見いださない価値観とか、理由となる要素はいくらでもあるわけで、むしろ車など極力使わないでいたい、という考えが主流になる日も、そう遠くないんじゃないかと私は思うよ。私が生きてるうちに、そういう流れの一端は見られるんじゃないかね。
だとすると、車が空を飛ぶというのも、現状からの数値的上昇のみが発展である歴史観に基づき、だから交通は飽和状態に達し、仕方なく空を飛ぶという発想が導かれているならば、その未来予想はそろそろ訂正されて然るべきだと、そう思うわけだよ。

いやなに、もちろん私だって、車が空を飛ぶところを純粋に見てみたいという、無邪気な男の子心は持ち合わせておるよ。ただ、未来の若者が心から望む風景は、そんな古典的ロマンなどとはほど遠い、もっと自然で、もっと大らかで、街には隙間だらけで、一分一秒を争わず、煙や騒音、喧噪など何処吹く風の、今より遙かにゆったりした光景なんじゃないかと、そんな風に、私のこの老いた感性でも、ひしひしと感じるわけだよ。
昔のメトロポリス的な光景は、結局歴史のどこかで描かれた夢に過ぎず、我々の世代が見ていた夢として、そのまま消えゆく運命にあるのではないかね。


ああ、2010年といえば、やはり宇宙だろうな。
さすがに2010年ともなれば、宇宙開発はかなりの発展を経ているだろう。自由に宇宙旅行が出来るとまでは言わないが、少なくとも宇宙へ行くことがそんなに珍しいことでも、大変な訓練が必要なことでもなくなり、ある程度パッケージ化された宇宙体験が可能になるのではないかな。あと、移民可能そうな惑星が2つ3つ見つかったり。その前に、私たちが考える惑星間移動のあり方が、既に覆されている予感がする。スペースシャトルでも宇宙エレベーターでも飛行機による疑似無重力体験でもなく、最も簡単なのは肉体的移動を伴わない宇宙体験ではないかね。つまりは情報として、私たちの意識を宇宙へ送り飛ばすのだよ。

それじゃあ宇宙「体」験じゃないのではないか、それは脳に勘違いさせるだけの、いわば「宇宙の夢」を見た状態と同じなんじゃないか、という議論が起きそうなもんだが、私には、その通りだそれでいいじゃないか、と反論できる雰囲気こそ、2010年的ではないかと思えるのだよね。

だってお前、考えてもみなさい、インターネットにはいったいどんな「体」験があるというんだい。これだけ発展したと言われるインターネットだって、結局頭と数値情報のやりとりに過ぎないのだよ。何一つ我々の体にまで変化は及ばない。だが、まるでそこに「場」が生じているかのように、コミュニケーションが行われ、何かが巻き起こり何かが生まれ、そして我々の心に、痕をつけていく。そして言うまでもなく、私たちは寝ているときに見る「夢」ひとつでも、起きた後まで感情を引きずられる。インターネットは、生身の人間達によって形成されているけれど、その空間を受け取るときの一人一人の脳での質感的なものは、パーソナルな夢と何も変わらないのではないかね。

ということはだね、現実で得る情報と夢で得る情報は同等になり得るということだよ、インターネットは現実の要素で組み上げられた全人類が平等にアクセスできる夢だとすればだよ。インターネットにアクセスするのと同様に、宇宙にアクセスすれば、その瞬間我々は宇宙へ行くのと同等ではないかな。

グーグルアースでお前は感動しただろう。私と新婚旅行で出向いた場所を、グーグルアースで再び訪れて、目を潤ませていたじゃないか。当時は全然楽しそうにしてなくて私は気を揉んだものだが、あの時より遙かに、お前は楽しそうにモニターを見つめていたじゃないか。そして私なんかよりもたくさん、思い出を記憶していたじゃないか。あの画面を見つめるお前の姿は、私にとって夢みたいな現実であったよ。グーグルアースは、お前の夢を現実に還したんじゃないかな。グーグルアースは2010年の宇宙体験を先取りする、兆しと言えるんじゃないか。私の世代でさえ、もはやグーグルアースはあって当然と思っているのだよ。


あの子供達はどうだろうね。
初詣で甘酒を飲むような平凡な現実に生まれながら、車が嫌われるという劇的な変化を変化とも思わず、2010年という響きに未来を感じることはなく、インターネットにも未来を感じず、宇宙はダウンロード出来るのが当然の世界に生まれた、あの子供達は、何に感動して、どんな夢を描くんだろうね。私には夢に見ることすら出来ないよ。
そんな2010年という得体の知れない年まで私の寿命が続くこと、この目で見ることがかなわないことを思うと、やっぱり少し、残念だよ、ああ、せめて2010年まで生きてみたいものだ、なあお前。


「そうね、あなた、今年も宜しくお願いしますね」




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