1.17





「ねぇあなた、2010年って、どんな未来になるのかしら」


さぁて、そんなに先のことはちっとも検討つかないけれど、少なくとも、私たちが想像も及ばないような、びっくりするような技術、おそろしいような表現、信じられないくらいのライフスタイルが、普通にまかり通ってるんじゃないかな、と思うんだよね私は。
それが具体的にどんなものかは分からないよ、繰り返すけど、想像もつかない。想像できてしまったら、それはきっと見ても驚かないものだろう。新しい世代は、常に私たちを驚かすんだから、それは私の頭では想像のできない時代だし、そうあるべきなんだよ。

ただ、こうして今一緒に初詣に来ている、あの子供達の、その頭の中には、既に未来への想像力が芽吹いているのかなと思うと、なんとも言えん不思議な気持ちになるね。生まれたタイミングが違うだけで、一緒に歩いて、一緒に同じ空気を吸っているし、同じ甘酒だって飲んでいるのに、まるで違う風にこの世界を見つめているんだ。私たちに想像のできない未来が、あの子達の目の中ではとっくに想像されているんだ。彼らは想像しているつもりなんてなくても、既にその目に見えているもの、私たちとは全く違うものから、刺激を受けて育っているのだ。そうして自然に育ち、自然に想像され、やがて当然のように未来に実現されるというのに、その実現されたものに、私たちは心底驚いてしまう。いや驚くどころか全く理解さえ出来ないかもしれない。せめて拒絶だけはしたくないと思うがね。その子供達に、私たちが何を教えられるんだろうね、と、そんなことをよく思うんだよ、最近は。この私が、2010年に向けて何を伝えられるのかね、と。


それにしたって2010年という響きはあれだね、あまりにも突拍子ない感じで、もう何でも実現しているような気になってしまうね。もしかしたら車だって空を飛んでいるかもしれない。
だが待て、この先の長くない私でも、今の現状からある程度の未来の姿を推測することは、決して不可能ではない。その上で思うんだが、車は空を飛ばないんじゃないかね。
確かに車が空を飛ぶ、というのはどうにもステレオタイプな未来像としていささか短絡的すぎるが、決してその短絡性を否定するわけではない。そりゃあ今の車社会の渋滞状況などを鑑みるに、飛んだらどんだけ気持ちよいか、ビルの間を車が立体的に行き交う光景は、どれほど格好良いかと思いを馳せることはできるが、車が空を飛ぶということの前に、私たちはまず、今後車が必要になるのか、について考えなければならないよ。

どうやら今の社会から地続きで未来がやってくるようだ、であるならば、きっと2010年あたりには、車を必要としないライフスタイルの一般化という現象が横たわっているんじゃないかな。だって、そりゃあインターネットという、物理的な距離を超越してしまう技術であったり、そこにくわえてエコとか、車にステータスを見いださない価値観とか、理由となる要素はいくらでもあるわけで、むしろ車など極力使わないでいたい、という考えが主流になる日も、そう遠くないんじゃないかと私は思うよ。私が生きてるうちに、そういう流れの一端は見られるんじゃないかね。
だとすると、車が空を飛ぶというのも、現状からの数値的上昇のみが発展である歴史観に基づき、だから交通は飽和状態に達し、仕方なく空を飛ぶという発想が導かれているならば、その未来予想はそろそろ訂正されて然るべきだと、そう思うわけだよ。

いやなに、もちろん私だって、車が空を飛ぶところを純粋に見てみたいという、無邪気な男の子心は持ち合わせておるよ。ただ、未来の若者が心から望む風景は、そんな古典的ロマンなどとはほど遠い、もっと自然で、もっと大らかで、街には隙間だらけで、一分一秒を争わず、煙や騒音、喧噪など何処吹く風の、今より遙かにゆったりした光景なんじゃないかと、そんな風に、私のこの老いた感性でも、ひしひしと感じるわけだよ。
昔のメトロポリス的な光景は、結局歴史のどこかで描かれた夢に過ぎず、我々の世代が見ていた夢として、そのまま消えゆく運命にあるのではないかね。


ああ、2010年といえば、やはり宇宙だろうな。
さすがに2010年ともなれば、宇宙開発はかなりの発展を経ているだろう。自由に宇宙旅行が出来るとまでは言わないが、少なくとも宇宙へ行くことがそんなに珍しいことでも、大変な訓練が必要なことでもなくなり、ある程度パッケージ化された宇宙体験が可能になるのではないかな。あと、移民可能そうな惑星が2つ3つ見つかったり。その前に、私たちが考える惑星間移動のあり方が、既に覆されている予感がする。スペースシャトルでも宇宙エレベーターでも飛行機による疑似無重力体験でもなく、最も簡単なのは肉体的移動を伴わない宇宙体験ではないかね。つまりは情報として、私たちの意識を宇宙へ送り飛ばすのだよ。

それじゃあ宇宙「体」験じゃないのではないか、それは脳に勘違いさせるだけの、いわば「宇宙の夢」を見た状態と同じなんじゃないか、という議論が起きそうなもんだが、私には、その通りだそれでいいじゃないか、と反論できる雰囲気こそ、2010年的ではないかと思えるのだよね。

だってお前、考えてもみなさい、インターネットにはいったいどんな「体」験があるというんだい。これだけ発展したと言われるインターネットだって、結局頭と数値情報のやりとりに過ぎないのだよ。何一つ我々の体にまで変化は及ばない。だが、まるでそこに「場」が生じているかのように、コミュニケーションが行われ、何かが巻き起こり何かが生まれ、そして我々の心に、痕をつけていく。そして言うまでもなく、私たちは寝ているときに見る「夢」ひとつでも、起きた後まで感情を引きずられる。インターネットは、生身の人間達によって形成されているけれど、その空間を受け取るときの一人一人の脳での質感的なものは、パーソナルな夢と何も変わらないのではないかね。

ということはだね、現実で得る情報と夢で得る情報は同等になり得るということだよ、インターネットは現実の要素で組み上げられた全人類が平等にアクセスできる夢だとすればだよ。インターネットにアクセスするのと同様に、宇宙にアクセスすれば、その瞬間我々は宇宙へ行くのと同等ではないかな。

グーグルアースでお前は感動しただろう。私と新婚旅行で出向いた場所を、グーグルアースで再び訪れて、目を潤ませていたじゃないか。当時は全然楽しそうにしてなくて私は気を揉んだものだが、あの時より遙かに、お前は楽しそうにモニターを見つめていたじゃないか。そして私なんかよりもたくさん、思い出を記憶していたじゃないか。あの画面を見つめるお前の姿は、私にとって夢みたいな現実であったよ。グーグルアースは、お前の夢を現実に還したんじゃないかな。グーグルアースは2010年の宇宙体験を先取りする、兆しと言えるんじゃないか。私の世代でさえ、もはやグーグルアースはあって当然と思っているのだよ。


あの子供達はどうだろうね。
初詣で甘酒を飲むような平凡な現実に生まれながら、車が嫌われるという劇的な変化を変化とも思わず、2010年という響きに未来を感じることはなく、インターネットにも未来を感じず、宇宙はダウンロード出来るのが当然の世界に生まれた、あの子供達は、何に感動して、どんな夢を描くんだろうね。私には夢に見ることすら出来ないよ。
そんな2010年という得体の知れない年まで私の寿命が続くこと、この目で見ることがかなわないことを思うと、やっぱり少し、残念だよ、ああ、せめて2010年まで生きてみたいものだ、なあお前。


「そうね、あなた、今年も宜しくお願いしますね」


12.24





「俺はロリコン」


イエー、俺はロリコン
ツイッターで10歳以上下の女の子ばかりフォローしている

午後3時くらいの住宅街が大好き
冬の寒そうにしてる子が大好き
後ろから温めてあげる妄想がしやすい

"人としておかしい"
彼女は言った
おかしなことに、俺には彼女が居た
同い年の彼女だ
女としての彼女だ
ロリコンとしての彼女じゃない



ヒヤッホー、俺はロリコン
ミクシィでハロプロ関係のコミュを散策している
アイコンで、だいたい分かる

弟か妹がいる子が大好き
親がかまってくれなくて嫉妬してる様がたまらん
髪の毛おだんご結び、俺を惑わせる誘惑のシグナル
ローラー付きスニーカー何処行った

"人としておかしい"
親が言った
小さいとき俺をかわいがった母さんは
ショタコンじゃないのか 馬鹿な
タンスの奥にしまってあるセーラー服
すこし父さんの匂い



デデッデー、俺はロリコン
イチゴ柄の靴下えろい
子供服売り場で動悸
ユニクロなら怪しまれないかな・・・?

そば屋で必死にふーふーしてほしい
全ての発言を「あのねー」から始める
髪の毛を梳かすときマジでくしになりたい
マジくしになりたい!

"人としておかしい"
娘は言った
ふしぎなことに、俺には娘がいる
でもそれは
できちゃったもんだし
ロリコンは
届かない手に入らない触れない



ジョバ〜ン、俺はロリコン
ランドセルについてる警報鳴らすくらい
意識してほしい

俺はここにいる
ほら、今もまだ見てる


12.2





この世界がこんなにも美しいことを俺だけが知っている。


他の誰も知らない。この歩道を歩いている男の、女の、誰もが気付いていない。
誰もが自分の内面にばかり集中している。
か、もしくは、ちょっと先の未来ばかり気にしている。
見えない誰かのことを気にしている。
ただ歩いているか、ただ前を向いているか、ただ下を向いているか。
それとも、ただ上を向く、なんてことが、可能かい。
可能だとしたら、それは君、生きているのかい。

俺は上を向いたら、もう世界の美しさにみとれて、やられてしまって、
おそらく4,5分は、何も出来ないね。
誰かにぶつけられても、なんとも思わないか、
もしくは猛然と怒って、相手の胸ぐらを掴みながら、
お前も今すぐ世界の美しさに気付け、と怒鳴るだろうね。

世界はこんなに美しくて、そして、その世界にお前が生まれたという時点で、
おののくほどに素晴らしいことなのに、
お前は何を急いでいるんだ、こんなに勢いよく、まして、恍惚の表情で空を見上げる、俺の姿に目もくれず、あまつさえぶつかりながら、まるで美しさなんて最大の障害物でしかないかのように。その歩いた先に、お前にとってどんな美しい世界が在ると言うんだい。
目の前を見ろ、目の前にあるのだよ。
俺の顔じゃない、空を見ろ空を、ほら
と言って、髪の毛を引っ張って、目をひんむかせるだろうね。

この世界がこんなにも美しいことを、お前にも知らせるためにね。

だけど現実にそんな狂人じみた行動に出ることなんてなくて、
あくまで、それ程の美しさが目の前に在り、
そしてそれ程皆が、目の前にある美しさを見て見ぬふりして別の象徴にのめり込んでいる、この状況に、もどかしさを感じているのだよ、ということ。


ああほらまた信号が青になって、笑いながら、喋りながら、うつむきながら、前だけを見ながら、足早に、赤信号に追われながら、その他諸処の事情に追われながら、上なんて見たら危険だから、せかせかとこの場を離れていく。せっかくさっき一瞬立ち止まって、意識の隙間の、ささやかな空白に、ほんのもう少しで、美しさの先端が斬り込んだであろうに。残念だよ、前だけ見てる方が危険だよ、本当は。

俺は青になっても渡らないよ。だって、信号よりも青くて、LEDよりも美しい空に、向かっているのだよ気持ちは。やがてゆっくりと赤くなって、僕はまたその美しさに全身を痺れさせて、この場に留まり続けてしまうんだろうよ。一体何人が俺にぶつかるかね。ぶつがるがいいさ。1人でも多く俺を見ろよ、世界の美しさを知っている俺を通して、世界を見ろよ。


「私は気付いています」
いきなり横で声がしたからびびった。俺は思わず、ずっと上に向かっていた頭を、地表と並行に戻した。前には誰も居ない、周りにも居ない、いや居た。中学生くらいか、女の子、俺の胸より下でなびくさらさらの黒髪に、世界を感じた。この子が俺に話しかけたのか?

「気付いていますよ私は」
もう一度繰り返した、同じ内容をちょっと入れ替えて言った。きっと自慢なんだろう。
この子は世界の美しさに気付いたか、いや実はもともと前から知っていて、普段から世界の美しさに触れ、吸収し、自分のものにしているのではないかな、とっくに。
この「ほらどうすごいでしょ」と言わんばかりの声色に、どこか、もともと自分が知っていることを、普段なら対抗できない大人に対して、ある部分で高みから述べてやりたい願望、隠しきれないプライドの疼き、のようなものを感じる。この年代の子にありがちなそれは、だがその「部分」である対象が、世界の美しさ、だ。

人は幼ければ幼いほど、世界の美しさと同一的存在に限りなく近づく、というのは、残念ながら覆しきれない現象であり、その点アドバンテージはこの子に十分ある。それは認めるしかない。
だがそれよりも、この子のこの発言のコアは、そこではない。この子が何に気付いているか、だ。俺は、ここに来て空を見上げて数分、世界の美しさに気付いた。そして、もっと多くの、「ただ行き交うことをしている」人々に、いますぐ、私たちの上にある世界の美しさに、気付いて欲しかった。
この子は違う。世界の美しさにはとっくに気付いている。
この子は、世界の美しさに気付けない人々に対し苛立ちを募らせている俺、が、ここにこうして突っ立っていながら思いを巡らせていること、に、気付いているのだ。

あの繰り返した2つの発言、その間に潜む真意とはつまり、
「私は気付いてますよ、あなたが気付いたことに」


ああっ。となるとっ。そして俺はまた気付いたぞ、この子は、世界が美しいことに気付いた俺に対し、それはその通りなのですよ、と確信を与えてくれているわけだ。だって、この子にとって、世界が美しいことは、もはや生まれた時から決定済みの、揺るぎない定理なのだ。この子の目と声が、世界が美しいことの確証なのだ。俺はまたこの子を通して、世界の美しさを知ったのだ。だから、髪の毛のなびきから、俺は瞬時に、世界を見て取ったのだ。


俺はここに立って、間違っていなかった。
あなたは間違っていない、と無垢に肯定されるほど、生き甲斐を感じることは他にあるだろうか。
俺は歓喜の涙をこぼしそうになり、慌てて上を向いて、力一杯目を閉じた。


「僕も気付きました」
左後方から若者の声がした。
「わしも気付いたぞ」
右後方からおじいさんの声がする。
「あらやだ私も気付いちゃったわ」
真後ろ、少し離れたところからおばさんの声だ。
「おれ気付いたぞーさっきから気付いてたもんね」
右斜め前より小学生くらいの男子の声が届く。
「マジでウチさ気付いちゃったんだけどー」
左斜め前の方からギャルっぽい声が聞こえた。
「き、気付いてるんですね、皆さん」
真正面から、神経質そうな気弱そうな男性の声だ。

どうやら俺の周りで、みんな、どんどん気付き始めたようだ。
なんだ、みんな求めてるものは同じだったんじゃないか。
1つの気付きは、それが正しければ、必ず一気に広まるときがくるものだ。
どうだ、世界は美しいだろう。
ただそのことを、周りのみんなと共有したくて、
俺は頭を上に向きながら、閉じていた目を開けた。
UFOが浮いていました。
俺だけが知りませんでした。


Revolution 1





僕は革命の影を見た。


雑踏の中で、他人の背後を足場伝いに、飛び跳ねるように革命は、僕から遠ざかっていく。革命は女性だ。革命という名の女性だ。であるならば、女性は革命だ。

彼女は小さい、彼女は静かだ。ちょこまかと、革命の匂いを振りまきながら、巧みに人の波をくぐり抜ける。誰もその匂い、その動きの機敏さに気付かないか、或いは無意識でしか感じ取れない。気付いたとして、振り向いても見えるのは背中だけだし、それを追うなんてこと、まさか考えない僕以外。


僕は彼女を知っていた、革命に追いつくかどうかは分からないが、それでも革命の軌跡を辿ることにした。一見とてつもなく早くて細かな動きも、革命のリズムさえ掴めば、それほど難しいことではなかった。革命のリズムは一定だ、実に淡々としている。だがそれでいて、周囲の人間に流されず、ともすると全速力のようにも見える。革命にだけフォーカスを当てると、それは至って優雅でマイペース、たゆたうようにしなやかで、滑らかな歩みでさえあるのだが、全景を引いてみれば、彼女はやはり早く感じる。多くの人間の同調的な流動の中で、明らかに異質で新しい力を身に纏い、するすると街の中で回転する。
人混みなど何も無いように、混乱など何も無いように、カオスなどどこにも存在しないかのように。

革命の後を追う。革命のスタイルを真似して、この高密度の世界から、僅かな隙間をキャッチして、滑り込むように。浸透する水のように。身体を、身体ではなく、大きな流れの一部とするように。


さては革命は、もう既に大きな流れの一部なのかもしれない。 いま、彼女が異質に見えるのは、何よりも今だからであって、誰ひとり彼女のことなんて思い出せなくなった頃、この街の誰もが、彼女のスタイルで流れているのかもしれない。
それは調和だろうか。それは颯爽としたスピード感だろうか。それはやはり、これまでと一寸違うだけの、その時代なりの混沌だろうか。僕はきっとそのとき、また彼女のように歩くことを忘れているかもしれない。

追いかけているだけなら、間違いなくそうなるだろう。
革命を追う僕は、革命しか見ていなかった。革命になりきるために、革命にだけフォーカスを当てていた。彼女の髪の毛の振る舞い一つだけでも、後ろから感じられれば良かった。なぜなら、革命が好きだったから。何十年も前に、彼女を見たその時から。彼女のファンだったのだ、僕は。みんながもう革命を忘れている。僕だけが彼女を覚えている。
改めて今僕は追いかけている。だが過去とはもう違う。そろそろ僕は気付いたのだ、追いかけているだけでは、彼女になれない、僕は変わらない。彼女をこの手で掴まえて、彼女と並んで、そしていずれは、彼女を引いて歩く。革命の往く道は、僕が決めよう。


今、全力で走り出し、周囲の人間との衝突を省みなければ、容易く彼女に近づけるだろうが。革命のために、犠牲はつきものだろうが。僕はそんなこともうしない。だって目の前に、ちゃんと在るべき姿が居る、正しい歩き方を教えてくれる革命が。静かで小さくて、誰の目にも留まらない。だけど、誰の意識にもきっと残留する、何かしらの振る舞い。



スターバックスの左脇から、センター街に入る。壁に張り付いて待ち合わせする人々の鼻先を通り抜ける。さくらやの騒がしい客寄せが、一瞬、静かになる。HMV前、ゆっくり闊歩する太った若者、横一列に並んで道を狭める女性達、彼らのリズムを乱すことなく、だが彼らの隙を見抜くように、革命は足早に追いつき、追い越す。彼らは彼女に気付かない、彼らは前しか見ていないから、物質世界の前方しか見てないから、周囲の風に気付くセンサーを、作動していないから。革命の足音も聞こえないから。

牛丼屋、ファーストフード、カラオケ、パチンコ。赤と黄色がせめぎ合い、危険な色を刺激として受け止められなくなりそうな場所も、革命の灰色の服が通り過ぎた瞬間、すべて色褪せるような錯覚。全てが過剰であり余剰であったことに気付く感じ。けたたましくブラックミュージックが放たれる路上を抜けて、ふっと、人混みと雑音が急にトーンを下げる十字路で、彼女は左に曲がる。ただ曲がって道に入るだけなのに、その動作の迷いの無さ、きめ細かさ、俊敏さに、追いかけるのを忘れて見とれてしまう。が、見失ったらこれ以上見とれることもできない。そして僕は見とれるのが最早目的ではないのだ。

道玄坂を東急百貨店方面に登る。革命のためには信号も全て青だ、革命は止められない。ドン・キホーテを前にして、その雑多な陳列に目をくれる様子もなく右へ。果たしてドンキの中でも彼女は、革命然としてそのペースを乱すことなく店内を巡ることができるのだろうか。それともああいった店自体が彼女にとってはもう不要かな。


彼女は、その足取りのまま途中左に折れ、細く暗い路地に入る。そこは静かだが、人が居ないというより、皆声を潜めているというべき、様々に感情の渦巻くホテル街。たった1人で彼女は、これからどこへ向かう。通り抜けるのか、どこかに入るのか。そして僕はこれ以上追いかけるべきなのか。人が少なくなったため、彼女の後ろ姿、緩むことのない一定の足取りを、その華奢な動き一つまで精密に捉えることが出来る。


革命は、自分がどこに向かっているか分かっているのか?

全力で走って掴まえるなら、今だ。誰も居ない、誰にも見られない。僕は危ないことをしようとしているだろうか。1人の女の子に向かって。違う、危ないのは彼女だ。このまま革命を、間違った道に歩み出したまま、放っておくことは出来ない。間違ってはいないのかもしれない、彼女には彼女の目的があるのかもしれない。ならば僕には僕の目的がある。僕は自分を変えるため、これまでのしがらみを振り切るために、坂道を一気に駆け上がり、飄々と淡々と、一切振り向くことなく道を往く彼女の、細い左腕を掴まえた。


彼女は足を止めた。僕は革命と横に並んだ。
彼女は何も言わず、何も動じず、こちらを向くこともなく、ただ一時的に足を止めただけのような素振り。腕は掴んだまま。場所が場所だけに気まずく感じてしまう僕は、瞬間、革命ほどの大物にはなれないんだということを、察する。瞬間、また思い直す。彼女は確かに革命だが、だからと言って、彼女と自分を比べる必要が、どこに在る?もう追い越せる。革命も、ただの人だ。

彼女の腕を離し、一歩踏み出す。僕はもう目的を果たした、ただ、まだ彼女の顔を見ていない。それに、彼女自身が、今どこで何をしているのか、気付いていなかったとしたら、それを見捨てて、自らの道を邁進する変革なんて、彼女と同じじゃないか。あれ、おかしい、僕は彼女が好きで、彼女になりたかったはずなのに。

憧れていた彼女の前に立ち、やっと顔を見据える。彼女は、おそろしいほどに純粋で、自由に、流れのままに動いていたのだろう。驚くべきことに彼女は、今もこれまでも、ずっと目をつぶっていた。ずっと寝ながら動いていたのだ。さらに驚くべきことに、僕はそのことに驚いていなかった。なぜなら彼女は止めてもらうのを待ってさえ居たのだから。


僕は、目をつぶって静止したままの小さな顔に、手を触れて、
そして、革命を起こした。




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